物事が自分の思うようにうまくいかなくて、分離感、敵対感、孤独感、不安、怒り、憎しみ、プライド、罪悪感等が、黒い雲のように自分のまわりにどんどん蓄積されて飽和状態になるとき、(おそらく自分でも止めようもなく)人は、自殺、あるいは自殺願望が反転して外側に出て、他者への暴力行為の方向へ向かってしまうのではないか、と私はそう理解している。私の若い頃の場合は、どういう偶然だったのか恩寵だったのか、その飽和状態が全然別の展開となって、世界と自分を遮断していた分離の黒い雲が相当抜け落ちてしまったのだ。

深刻なほどの自殺願望のある人たちを救う決定的な方法があるのかどうかはわからないが、たぶん、誰かがそういった人たちの黒い雲の中に愛情深い手を差し伸べて、風穴を開けて、世界とのつがなりを回復するのを助けてあげれば、一部の人たちには自殺を思い留まらせる効果があるだろうし、現在日本各地で様々な団体が各種の自殺対策をおこなっていると聞く。

私自身は、「死にたい」という人たちへの対応があまり優しくない。昔、私の本の読者の人が電話で「死にたい」と言ったとき、話の成り行きで、私が最後になんと言ったかというと、「死ぬのも悪くないかもしれない」みたいな言葉だった。そのやり取りを隣でたまたま聞いていた人に、「どうしてそんな冷たい言い方をするの?」と、私はひどく叱られた。私は、人がしたいということに基本、反対しない主義だし、自殺・安楽死の自由を認めている。「死にたい」と言う人に、「死んではいけない」と説得する一体どんな権威を他人がもっているというのか、生が苦痛か死が苦痛かを決めるのは、他人でなく、本人である、とその当時はそんなふうに考えていた。